阪急沿線エリアのマンションはなぜ人気なのか?【徹底検証】【長文注意】

阪急沿線エリアのマンションはなぜ人気なのか?【徹底検証】【長文注意】

関西の住みたい駅ランキング上位10位のうち、6駅が阪急沿線と関西ではダントツの人気を誇っているのが阪急沿線*。

実際に本サイトの読者の方も「阪急沿線」でマンションを探している人も多いのではないでしょうか?

ここで、阪急沿線で探している人も改めて「なぜ、阪急沿線って人気なんだろう?」と考えてみるきっかけにしてみてほしいと思います。

多くの人は阪急沿線の人気について「昔から阪急は人気と言われているエリアだから」「閑静な住宅街で価値も維持されているから」などが浮かぶのではないでしょうか。

その、そもそもの「どのような理由で阪急沿線は今の人気を得たのでしょうか?」という点をこの記事では探っていきます。

「人気の沿線・エリアだからそこに魅力を感じて人が集まることで、さらに人気が高まっていく。」ということはよくあることですが、そもそもの人気になった理由や「他の沿線と比べて”人気”以外に実際にはどのような違いがあるのか?」をこの記事では徹底検証をしていきます。

単なる人気ランキングの解説をする記事ではなく、阪急電鉄の歴史的な経緯などをもとに周辺の宅地開発の分析や検証を行う記事ですので、長文となっておりますが、阪急沿線でマンションを探している人や阪急沿線が気になっている人は是非、この記事をチェックしましょう。

(*出展:リクルート住まいカンパニー「2016年版 みんなが選んだ住みたい街ランキング 関西版」より。梅田駅も阪急沿線にカウントしています)

魅力:電車がピカピカでいつも綺麗!

まず、阪急電車そのものの車両が綺麗であるという点に注目をしてみましょう。

もしかしたら、貴方は「電車が綺麗かどうかは、沿線の価値とは直接影響がない」と思われたかもしれませんが、実は当サイトでは大きなポイントであると考えているのです。では早速、この点をチェックしてみましょう。

阪急電車が綺麗というのも、ちょっと綺麗とかのレベルではなく、以下のようにインターネット上で大きく話題になりニュースサイトが取り上げるほど綺麗に整備されているのです。

いつ見てもピッカピカ なぜ阪急電車は「美しすぎる」? 伝統の色「阪急マルーン」の背後に浮かぶ〝ブランド〟(外部リンク:産経WEST

詳しくは上記のニュースサイトにも掲示されていますが、阪急電車は電車の外装だけでなく、車内の雰囲気を見てみても、落ち着いた高級感のある車両の雰囲気となっています。

阪急電車車内(引用:公式HP)

阪急電車車内(引用:公式HP)

阪急電車車内(引用:公式HP)

阪急電車車内(引用:公式HP)

阪急電車電光案内(引用:公式HP)

阪急電車案内表示(引用:公式HP)

阪急電車と同じく、神戸を並走し古くからライバル関係にある阪神電車や阪神沿線を走行している山陽電車の車両の画像を以下に引用していますので、それぞれ比較してください。

やはり、阪急電車の方が高級感がある雰囲気となっています。

阪神電車5700系(引用:公式HP)

阪神電車5700系(引用:公式HP)

阪神電車車内(引用:公式HP)

阪神電車車内(引用:公式HP)

山陽電車6000系(引用:公式HP)

山陽電車6000系(引用:公式HP)

山陽電車車内(引用:公式HP)

山陽電車車内(引用:公式HP)

さらにポイントなのは、上記の写真は撮影用に全て清掃されている綺麗な写真ですが、実際に運行している阪神電車や山陽電車はこの写真通りの綺麗な状態ではあまり運行されていません。

阪神電車や山陽電車の車両などは古かったり、あまり綺麗でない状態の車両が多い印象です。

ですが、阪急電車の場合、普通に営業運転をしている車両も綺麗に保たれているのです。

というのも、阪急電車では、車体の洗浄を5日に1回行い、さらに雨が降るなどして汚れた場合はその都度洗車して綺麗にしているのです。

そのため、本当にこの写真に近い状態で運行をされているため、上記のニュースサイトで「いつ見てもピッカピカ 阪急電車は「美しすぎる」と言われるほど綺麗な電車となっています。

電車は通勤や通学で毎日利用する人は毎日利用するものです。そのような電車が綺麗な状態で維持されていることで阪急の高級なブランドイメージを築いた一つのポイントと言えるでしょう。

ですが、もちろん、電車が綺麗だから阪急沿線に価値が出たという単純なものではありません。

実は阪急電鉄自身が「高級なブランド」と認知されたかった理由というのがあるのです。

point阪急電車が人気の理由は「電車がキレイ」であること。ここまで電車の外装・内装の見た目にこだわっている鉄道会社は日本中を探しても他にないでしょう。

ちなみに、阪急電車の開業時のキャッチコピーは「綺麗で早うて、ガラアキ、眺めの素敵によい涼しい電車」となっています。”ガラアキ”なのはともかく開業時から「綺麗」というコピーを入れていたのはポイントと言えるでしょう。

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阪神は街を走り、阪急は田んぼを走っていた?(阪急電車の歴史を紐解く)

阪急電鉄が「高級なブランド」と認知されたかった理由を紐解くには、まず阪急電車の歴史を紐解くことから始めましょう。

阪急電鉄の歴史は阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が1910年3月に「梅田 〜 宝塚」間と「石橋 〜 箕面」間を開業したのが始まりとなっています。その後、1920年に「十三 〜 神戸」間を開業しています。

実はこの当時は、阪神間の電鉄会社のライバルとも言える阪神電鉄阪急が開業する前の1905年に「神戸 – 大阪」間で開業されていたのです。なみにJR神戸線は阪神電車よりも早い1874年5月に開業されています。

つまり、阪急電鉄は阪神電車やJRと比べてかなり遅いタイミングでの開業となっていたのです。

また、先に開業をした阪神電車は、当時メインの街や利用者が多いと見込める街を通るように路線の開発を行っていたのです。

そのため、阪急電車に残された神戸〜大阪の間の土地は何もない田園風景が残っている場所しかなかったのです。

当時、阪神電鉄は既存の街を縫うように線路を作って行ったため、非常に駅数が多く、神戸〜大阪間の輸送に時間を要していたのです。

これに対抗する形で、阪急電鉄としては大阪〜神戸まで高速で短時間で電車を通すことが最大の目的になっていたため、その途中の土地が田園風景の残る場所であっても問題がなかったのでしょう。

実際に梅田〜三宮までの駅数でも、阪急が16駅に対して阪神が32駅と2倍の駅数となっているのです。

これだけ駅数が少なければ停車する駅の数も少なくなる分、大阪・神戸へのアクセスが早くなるというメリットがあったのです。

そして、阪急電車ではこの大阪・神戸へのアクセスの良い田園風景の場所を、新しい住宅地としていこうと考えたのです。

住宅地として販売すればその分、収益になるだけでなく、沿線住民が「阪急電車」を使ってくれることで将来において安定した「運賃収入」も得られると考え、積極的に阪急電鉄では沿線の開発を行ったのです。

これが阪急沿線に新しい住居エリアが生まれるきっかけと言えます。そしてこの「新しい住宅地」というのがポイントなのです。

実際には以下のような何もない田園風景の場所が見事な宅地となったのです。

阪急沿線の何もない原っぱ(引用:阪急電鉄)

阪急沿線の何もない原っぱ(引用:阪急電鉄)

開発後の宅地

開発後の宅地

このような開発を阪急電車が主導して行っていったのです。

point阪急電鉄の「神戸〜大阪」間や「宝塚〜大阪」間の開業当初は田園風景で何もない場所であった。その何もない場所が徐々に「新しい住宅地」となっていったのです。

阪急電鉄の創業者が住宅ローンを生み出す。

この何もない田園風景の場所を大規模な宅地にしようというのが、阪急電鉄の考えでした。

ここでポイントとなるのは、当時と今とでは「住宅に対する一般人の感覚」が大きく異なることも押さえておくべきポイントと言えます。

この当時は自分の家を持っているのは「一部のお金持ち」しかいなかった時代であり、一般人には家はとてもではないですが、購入することができない代物だった時代なのです。

そこで、阪急電鉄は一般人でも購入できるように、土地と家を担保に毎月、お金を支払えば自分の家となるという「住宅ローン」を日本で初めて生み出し、今まで購入できなかった一般の人たちも家を持てるように開発したのです。

この阪急沿線の「神戸〜大阪」へのアクセスの良さと日本初の「住宅ローン」の二つで一般人にも家を購入できるようにして行ったのです。

ここでポイントなのは、新しく街を作るということには新しい人が住みますが実は阪急沿線の街並みや雰囲気・治安を語る上で重要なポイントと言えるのです。

もう一度、新しい宅地を見てみましょう。

開発後の宅地

開発後の宅地

阪神沿線やJRなどは今まで街があった場所に路線の開発を行ったので色々な人が住んでいる町でした。

ですが、阪急沿線は上述のように徐々に新しい町を作って行き、一般人でも家を持てるように売り出して行ったのです。

すると多くの人たちから「頑張って収入を上げて阪急沿線に家を買おう!」という思いを持つ人が増えていったのです。

そして、そのように頑張って家を購入した人たちが阪急沿線に住んでいき徐々に人口が増えていったのです。

もともとが田んぼが多い場所ですので、元から住んでいる人が少ない地域となっています。ですから、新しく開発された場所には、家を購入できない低所得者や治安を悪くするような人が少なく、周りは同じように頑張って家を購入した人やお金を持っている人が住み始めました。

それによって、徐々に阪急沿線に住むことが人気・憧れとなっていき「昔からある住宅街=阪神沿線・JR」と「新しい住宅街=阪急沿線」と明確に区別されるようになったため、益々阪急沿線が住宅地として、人気が出てきたのです。

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pointこの阪急沿線の新しい住宅街が徐々に独自の文化も生み出していきました。この文化を「阪神間モダニズム」と呼ばれることもあり、ブランド住宅街としての確立していきました。

阪急のブランドを高める取り組み

ここまで、見てきたように阪急電鉄は自身が開拓した沿線沿いに大阪や神戸・京都への利便性の高い住宅街を作り、住宅ローンを開発して庶民でも家を購入できるようにして、阪急沿線の家を購入してもらい、彼らが電車の利用者になって収益を得るという今考えてみても非常に大規模なビジネスモデルを構築していったのです。

そして、このビジネスモデルの最大の肝が「阪急沿線のブランド」にあるのです

阪急電車が他の電車よりも綺麗に電車を整備しているのも、そのブランドを高める取り組みの一環です。

特に当初阪急電車がターゲットとしたのは、自分で土地を持っているような本当のお金持ちではなく、「住宅ローンを利用して購入する人」をターゲットとしていたのです。

つまり、一般人の中でも家を購入できるくらい収入が高い人。平均よりもちょっと上の層をターゲットとしていたのです。

本当のお金持ちであれば、毎日電車に乗ることもなく「電車で通勤する」という考えがそもそもないでしょうが、平均よりもちょっと上の層であれば、当然通勤や通学に毎日電車を使いますので、電車のイメージを高めることは周辺の沿線のイメージを高めることにも効果があったと言えるでしょう。

そして、阪急電鉄のブランドの構築の取り組みはそれだけではありません。

宝塚歌劇団もそのうちの一つです。

もっとも、当時はブランドイメージを高めるという目的ではなく、行楽客による鉄道の利用者増を狙ったが失敗に終わった「宝塚新温泉」の跡地の有効利用のために「宝塚歌劇団」を作ったと言われています。

ですが、その「宝塚歌劇団」が徐々に人気を博していき、100年以上の長い歴史を積み重ねる中で、結果として現在では「宝塚歌劇団」の可憐なイメージによって阪急電鉄のイメージ向上にも寄与していると言えるでしょう。

中吊り広告にもこだわり。

さらに、阪急電鉄のこだわりは電車内の広告にも表れているのです。

実は阪急電車の車内では公共性を重視する観点から、ゴシップ記事などが載っている週刊誌の吊り広告を一切掲示していないのです。

当然、鉄道会社から見れば広告を掲載すればその分広告費を貰えるため、掲載したくなるのですが、阪急電鉄では車内の環境・公共性を重視して掲載しないという方針を貫いているのです。

小説や映画にも…

さらに、阪急電鉄のブランディングは確固たるものとなっており、2008年には「阪急電車」として小説になり、2011年には「阪急電車 片道15分の奇跡」として映画化もされているのです。

もっとも、これらの小説や映画によって阪急電鉄のブランディングがうまくいったというよりも、既に確固たるブランドとなっていた阪急電鉄を題材とした小説や映画ということで、小説や映画の方が阪急電鉄のブランドのお陰で人気になったと言えるでしょう。

最後に

この記事で見てきたように現在の阪急沿線の良いイメージ・ブランドというのは一朝一夕でできたものではなく、阪急電鉄が意図して長い時間をかけて作り上げてきたブランドイメージと言えるでしょう。

そして、これは単なる「阪急電鉄」という一つの会社のブランドイメージではなく、地域のイメージ「阪神間モダニズム」として定着した感があります。

ここまで、しっかりと地域として定着すると余程のことがない限り、価値は揺るぎないものと言えるでしょう。

そして、ここで挙げた「こだわり」を続けることによってこれからも阪急沿線の人気が持続していくことになるのではないでしょうか。